
株式会社 万富は岡山県の木材販売屋です。原木(米材、内地材、アフリカ材、南洋材)や木製品を扱っています。特にスプルース製品は中国・台湾より直輸入です。建築材、まな板、そば打ち台、麺棒、スプルース別注材のご注文も承ります。
10年間の周到準備で親族外へ円滑承継
中小企業の経営承継の場合、現経営者の長男などへの親族内承継が一般的だ。だが、必ずしも親族が継がなければならないわけでもないし、会社の存続・発展にふさわしい人材であれば当然、親族外の役員や社員であっても後継者の対象となる。
岡山県の木材卸売業・万富の経営承継は、まさにそうしたケースだった。4年前、創業者で先代社長の森山達氏から現社長の寺見仁志(58)に経営が引き継がれている。
親族外承継には親族内とは又別の難しさが有ると言われるが、同社は実にスムーズな承継ができたという。寺見社長が当時を振り返る。「私と森山さんは、独立する前に勤めていた会社で上司と部下の関係でした。それで森山さんが社長、私が専務となり一緒に万富を設立したのですが、森山さんはそのときすでに65歳で、当初から『10年経ったら引退してお前にバトンタッチする』と言われていたのです。そして実際に75歳でスパッと身を引かれた。もちろん今も森山さんと交流は続いていますが、会社の経営には一切関わられていません」
森山氏が寺見社長の仲人を引き受けるなど両氏は、前職での上司と部下、会社設立後の社長と専務といった役職以上の師弟関係に近い間柄だった。それだけに森山氏は、創業当初から信頼する寺見氏を社長候補と目し、10年の歳月をかけ用意周到で経営承継を行ったのである。
営業部門を後継者に一任
では、森山氏から寺見社長への承継の過程を見ていこう。経営承継では、その会社のおかれた実情によってクリアすべきハードルが若干違ってくる。万富の場合それは、大きく分けて「後継者教育」「株式(経営権)対策」「金融機関対策」の三つだった。
後継者教育は、すべての経営承継に共通する課題だ。経営トップには、経営管理の知識などに加えリーダーシップや決断力といった総合的な人間力が求められる。これを涵養する方向へと後継者を導いていくのは、決して容易なことではない。育成する側(経営者)される側(後継者)双方の自覚と努力が求められる。
森山氏が実践したのは、自分と寺見社長との職務を明確に分けて徹底的に任せることだった。
「管理業務は森山さんで営業は私に一任されていました。言われたのは『ブローカーになるな』(安易な商売をするな)という戒めだけ。お客様のためにリスクをとっても仕入てこいということです。ほかは口出しされませんでした。で、任された以上責任がありますから、私は国内外に仕入れに行ったら絶対手ぶらでは帰らないようにして必ず新しい商材を買ってきました。仕入の失敗は許されないし、売るのも私の役目でしたからいつも挑戦の連続で、文字通り必死でしたね」(寺見社長)
木材卸として後発である万富は、他社との差別化のため設立当初から新しい商材の開拓を基本戦略としている。その方針のもと、寺見社長は建具家具材や神社、仏閣用の木材などの仕入ルートを次々と新規開拓し同社の礎を築いてきた。
これはつまり、森山氏が事業の根幹部分を寺見社長に託してきたことにほかならない。次期社長の椅子を約束していても、ここまで任せるのは勇気の要る決断だといえる。 一方で森山氏はマネジメントに専念し、緻密な業績管理で着実に黒字を計上していった。過去には人員増(固定費増)などによって赤字の年もあったが、これまでに二期連続赤字に陥ったことは一度もない。
同社設立当初からの顧問税理士である楢原巧氏(税理士法人エフ・エム・エス所長)は「森山さんは会計が会社を強くすることを深く理解していた経営者だった」と評価する。「とにかく経営数値の把握と分析に精通した方でした。当事務所に対しても『もっと早く月次試算表を提供しろ。でないと別の税理士に代えるぞ』とハッパをかけるくらい(笑)。それでいて酒には滅法強く、度胸も据わっていた。豪放磊落な面と非常に緻密な面を併せ持った人物でした」
このような希有なパーソナリティを持つ森山氏に支えられながら、寺見社長は実践を通じ経営者として鍛え上げられてきたのである。
株式対策での深謀遠慮
そうして設立から10年が過ぎた2004年、いよいよ約束した代替わりの年を迎える。森山氏は社員を前に「今年で社長を辞任する。辞めた後は会社から一切手を引く」と宣言、そこからあわただしく社長交代の準備が進められることになった。
ここで課題として持ち上がったのが、株式対策と金融機関対策の二つだった。
株式移転のほうは非常にスムーズに進んだ。というのも、森山氏が先を見越し事前に手を打っていたからだ。経営承継の実務面の手続きを指導した税理士法人エフ・エム・エスの宇野元浩税理士が、次のように説明してくれた。
「凄いと感じたのは意図して株価を一定に保つようにしてあったこと。森山さんは利益が出たらそれを社員や株主への配分に回し内部保留はあえて抑え気味にすることで、設立以来ほとんど純資産額が変わらないようにしていました。又他方では市中金利よりも高い金利の社内預金制度を作り、当時の寺見専務以下社員全員に貯蓄を推奨してきました。寺見社長はそれを株式の購入資金に充てることができたのです」寺見社長も「給料が出るといつも森山さんから口うるさく会社に預金しろと言われてきましたが、後からこういう意味があったのかと分かりました。私が会社を承継できるだけの資金が貯まったかどうか常に気にされていたんでしょう」と森山氏の深謀遠慮に感謝する。
もう一つの金融機関対策とは、運転資金の新規借入を行うことだった。もともと同社は銀行借入が少なく、森山氏からの会社への貸付などでまかなえてきた。だが寺見社長はそれほどの個人資産を持っていない。新たな資金調達先が必要だった。
これは、薄い取引ながらも毎期決算書を提出するなどして銀行との関係維持に努めてきたことが奏功した。そのようにして長年培ってきた会社の信用力が新米社長への不安感を払拭し、複数の銀行から融資案を引き出すことに成功したのだ。最終的には、もっとも条件の良い銀行から運転資金を借り入れることができた。
また、親族外承継で多くの場合ネックとなるのが経営者の個人保証だ。寺見社長も銀行から個人保証を求められたという。だが、これまで森山氏と二人三脚で会社を牽引してきた寺見社長には、経営者としての覚悟も十分に備わっていた。社長は躊躇なく銀行の要請を受け入れる。
さらにこの年は、寺見社長の指揮でL/C(信用状)を開設し中国と台湾から直輸入も開始。取引拡大に成功したことで、社内での寺見社長の存在感は一層大きくなった。
そして翌05年3月31日、寺見社長は晴れて専務から社長に就任する。すかさず社長は資本金を2千3百万円から5千万円に増資し、経営基盤の強化を図った。
すべてがとんとん拍子に進んだ同社の経営承継だったが、そのことで逆に楢原税理士はひとつの懸念を抱いていたと話す。「すべてが上手くいったことで、社長がちょっと天狗になっているように見受けられました。経営承継は今回だけで終わりでは有りません。社長には会社を発展させ次の代へと受け継がせる責任もある。それで気を引き締め直してもらうため、3年前に当事務所主催の『経営革新セミナー』に参加してもらったのです」
このセミナーに参加した寺見社長は「ほかの経営者がいかに努力しているのかを知り、自分の甘さを痛感させられた」という。
気持ちを新たにした社長は、次の承継を念頭に置いた経営を心がけるようになった。三代目の候補は大手住宅資材卸売会社で修業中の社長の次男。継がせる条件は「今の勤め先でトップの成績を残すこと」と厳しい。そう語る目は、父親でなくあくまでも経営者のものだった。